牛乳の歴史!日本ではいつから飲まれていたの?



ヨーグルトは牛乳を乳酸菌で発酵させた食べ物です。今やヨーグルトを始めとした乳製品は、日本人に当たり前のように食べられています。

私も子供の頃は、水代わりに牛乳を飲んで育ちました。しかし、実は日本で庶民が牛乳を飲むようになった歴史は浅いって知ってますか?

ずっと昔から飲まれてるようで、実はそうではないのが、牛乳なんです。

そこで、今回は日本で牛乳がいつから飲まれるようになったのか?その歴史をお伝えします。

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目次

牛乳のルーツ

日本での牛乳の歴史を見ていく前に、世界での歴史を見ていきましょう。

牛乳以外の家畜の乳が飲まれ始めたのは、紀元前9,000年~紀元前8,000年の間頃の中東と考えられています。

それまでも山羊や羊が家畜として飼われていましたが、当初は毛皮を衣服にしたり、食肉としての目的でした。しかし、肉屋毛皮にする場合は、殺してしまう必要があります。しかし、乳を搾るだけなら殺す必要はありません。

そこで、貴重な食料として、山羊や羊の乳を飲むようになったのです。

やがて、紀元前7,000年~紀元前6,000年頃になると、トルコのあたりで、牛を家畜として飼うようになりました。畑を耕す時などの労働力、食肉や飲用の乳を搾る目的で飼育されたのです。

このように中東やヨーロッパの牛乳の歴史はとても古いため、様々な乳製品や乳製品を使った食文化が発達しています。

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日本の牛乳の歴史

では、日本に牛乳が伝わったのはいつからでしょうか?

それはグッと時間が過ぎた後のことになります。

飛鳥時代・平安時代

日本に初めて牛乳が伝わったのは、飛鳥時代と言われています。

当時、百済(くだら)からやってきた智聡という人が、様々な医学書や仏教の経典を日本に持ち込みました。その書物の中に牛の飼育方法や牛の乳を搾る方法などが書いてあったのです。

やがて、智聡の息子の善那が、当時の孝徳天皇に牛乳を献上したところ「牛乳は健康に良い薬だ!」と喜ばれました。そして、善那は医者として、牛乳を生産するための牛を飼育管理する者として「和薬使主(やまとくすしのおみ)」という称号を与えられました。

これ以降、牛乳は薬用として飲まれるようになりました。当時は牛乳はとても貴重でとても庶民が飲める物ではありませんでした。京都や奈良では”乳戸”と呼ばれた酪農家から、毎日、皇室に牛乳を2.3lほど納めていただけでした。

しかし、時間と共に全国に酪農が広まると牛乳を煮詰めた”“というものを税として納める”貢蘇”という制度もできました。平安時代になると、滋養強壮に良いとして、貴族たちの間で蘇が広く飲まれるようになったのです。

平安時代以降は廃れてしまった

しかし、平安時代を過ぎると、牛乳を飲む文化は廃れてしまいます。

奈良時代になると、聖武天皇が肉食を禁止しました。それに伴い、牛乳を飲むことが少なくなっていきます。

やがて、貴族に代わって、武士が力を付けてくると、軍用馬の飼育が盛んになりました。そして、鎌倉時代になり、武士が日本を支配するようになると、牛は飼育されないようになり、牛乳を飲む文化は廃れてしまいました

その後は牛乳を飲むと牛になるという迷信ができるなど、牛乳を飲む習慣も「身体に良い」というイメージもさっぱり消滅してしまいました。

徳川吉宗の時代

やがてまたしばらく時間が過ぎて、江戸時代に享保の改革などを実施した8代将軍、徳川吉宗の時代になると、牛が輸入されるようになりました。

吉宗は外国人の獣医から、牛乳やバターが馬の滋養強壮や病気の治療に良いと聞き、インドから3頭の雌牛を輸入したのです。そして、馬に与えるための蘇である「白牛酪(はくぎゅうらく)」というものを作りました。

やがて、11代将軍、徳川家斉の頃になると、飼育されている乳牛は70頭にまで増えていたそうです。

しかし、江戸時代でも一般庶民が牛乳を口にすることはありませんでした

明治維新後

黒船来航以降の幕末になると、外国の文化が入ってくるようになりました。そして、前田留吉という人が、西洋人の体が大きいのは、牛乳を飲んでいるせいだと考えました。そして、牛の飼育と搾乳技術をオランダ人から学んだ留吉は、横浜で和牛6頭を飼育して、牛乳販売を始めたのです。

しかし、最初は日本人にはなかなか売れず、買ってくれるのは外国人が中心でした。

やがて、一般庶民が牛乳を飲むようになったのは、やはり明治時代になってからでした。

明治4年に皇室で1日に2回、牛乳が飲まれているというニュースが新聞に載ると、一般庶民にも牛乳を飲む文化が広がり始めました

当時は横浜で本格的な牛乳の生産が始まっていましたが、需要の増加と共に、蝦夷(北海道)に酪農が広がりました。

しかし、当時の農家は家畜の乳を搾ることを嫌がりました。そこで、武士出身の士族たちが中心になって、酪農や牛乳販売が行われました。収入の無くなってしまった士族たちにとっては、良い収入源だったのです。

やがて、明治時代の中頃には、アメリカから牛乳の殺菌技術が伝わり、保存期間が飛躍的に長くなりました。その結果、瓶に入った牛乳が一般庶民にも手軽に飲めるようになって一気に広まり、現在に至りました

このように私たちに馴染み深い、サラサラの液体の牛乳が飲まれるようになったのは、明治時代以降です。それ以前は牛乳ではなく、蘇のような乳製品を飲んでいたわけです。

では、昔飲まれていたものってどんなものだったのでしょうか?最後に古代日本の乳製品がどんな物だったか、見ていきましょう。

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当時の乳製品

牛乳は基本的に保存しにくい物です。

平安時代であっても、生乳で飲むことは少なく、1/10にまで煮詰めた蘇というものが一般的でした。既にお伝えした通り、日本で飲まれていた乳製品は蘇が最も一般的でした。

また、仏教の「大般涅槃経(だいはつねはんきょう)」の中に五味といって「譬如從牛出乳 從乳出酪 從酪出生蘇 從生蘇出熟蘇 從熟蘇出醍醐 醍醐最上」(牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥を出し、生酥より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す)という記述があり、醍醐が最上の物とされています。

そのため、仏教の僧侶の間では、五味を作って飲んだり食べたりしていたようです。ただし、その製法は残っておらず、作り方は分からなくなってしまっています。

色々な書物から、次のような物だったと推測されています。

  • 牛から絞っただけの乳

  • 生クリームのような物

  • 生酥、熟酥
  • チーズやのような乳酸菌発酵させた食べ物

  • 醍醐
  • 発酵バターかヨーグルトのような食べ物


この五味を再現させるために、様々な研究がされているようです。

ちなみに深い楽しみや魅力を意味する「醍醐味」という言葉は、この醍醐から来ています。醍醐ってそんなに美味しい物だったんですかね~。是非一度食べてみたいですね!

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まとめ

牛乳が日本人に親しまれるようになったのは、明治時代以降のことでした。それまでの日本では、皇室や貴族などの一部で飲まれているだけだったのです。

日本では牧畜は盛んでなく、牛乳自体もとても腐りやすい物だったのが、原因かもしれません。そういえば、和食には牛乳や乳製品を使う料理が無いですよね。

そんな、牛乳をあまり飲んでこなかったせいなのか、日本人は牛乳を消化する能力が低いそうです。その代わり、野菜などの食物繊維が豊富な食べ物を消化するために、小腸がとても長いそうです。

今ではこんなに牛乳が普及しているのに意外ですね~。

ちなみに私は小さい頃から牛乳やチーズ、ヨーグルトを食べまくってきましたが、全然大丈夫です。最近の日本人は乳製品にも適応してきているのかもしれませんね!


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